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【コラム】Aパーツ設立の経緯

【コラム】Aパーツ設立の経緯

1996年11月、喜多方•町北につづく3か所目の鉄リサイクル事業所として会津若松市一ノ堰工業団地内にアマルク事業部(現・アマルク会津一ノ堰)を開設。
①会津盆地南部と南会津地方に対応した営業拠点
②ガラスカレットリサイクルの基地(これはうまくいかなかった)
③2005年1月1日施行「使用済み自動車リサイクル法」に対応した廃自動車処理のための拠点など3つの目的があった。
既存概念を変えるために、A 会津(荒川、all)、Ma マテリアル、R リサイクル、C カンパニ—(センタ—)の頭文字からアマルクと命名
自動車リサイクル法による規、設備投資に備えるために会津地区全体として廃自動車処理協同組合設立を目指したが、賛同が得られず挫折。
単独の廃車リサイクル処理工場として隣接地に工場を建設した。
当時のオートセンターNA0 鈴木博次社長(故人)から計画中止要請もあった。
スタ—トメンバーの長澤香代(現・陳わーくすたいる社長・NPO 法人くるりんこ理事)が会社設立事務で数回徹夜作業をした。
2000年6月(有)オートパ—ツアマルクとして分社独立。
鉄鋼原料供給業と自動車の機能を保証する中古部品の供給業、との事業文化の差に違和感を持ち、車の解体、部品生産、ネットワークを通じた中古部品の調達販売、中古車売買と現在の形態となる。
アマルク会津一ノ堰は下工程、一体で自リ法に対応。
「『お荷物扱いされるのが悔しい。何とか見返したい』との思いで、会社経営なんて何も知らない中で夜遅くまで残って話し合いをしたのが懐かしい」と話す長谷川栄社長(2002年荒川産業から転籍)。
途中「精緻な解体」にも挑戦したが定着せずマルチ解体機は現在kWCで活躍中。
一ノ堰工業団地内の東亜機工廃業に伴い工場買収し現在地に移転。
2017年7月オートパーツアマルクから、簡潔さと独立性を狙って現社名「A パ—ツ」に変更、同時に長谷川社長就任。
その際に不動産部門を切り離して会津総合開発と合併し持たざる経営にシフトチェンジして現在に至る。
※当時の日付のまま掲載しております。荒川通信No.26から抜粋
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