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【コラム】ウエステック設立の経緯

【コラム】ウエステック設立の経緯

(株)ウエステックは1992年に8社の合弁で設立。初代社長樫内佑二郎。2001年二代目社長荒川洋二。2022年三代目社長五十嵐敦。
設立二年前から、「喜多方の環境を考える会」と称して月会費2万円、12社で産業廃棄物学習会を始めた。
産業廃棄物最終処分場建設を目的に現地視察も含めて活動。ハードルが高く暗礁に乗り上げた。
会員の昭和電工(株)喜多方建材センター様が、喜多方市町村圏組合山都焼却場に続いて粗大ごみ処理工場建設を受注。
施設運営入札に参加、破砕機メ—力—極東開発工業(株)に勝って運転業務を受託した。
安い価格での落札で,翌年の給料賃上げの確保に困惑、第二事業、産廃中間処理業(家屋解体木質系廃棄物処理)を慶徳町豊岡蛇崩にて開業した。
主たる出荷先として、会津若松市カイハツボ—ド工業(株)(政府系北海道東北開発公社に由来)ハードボード工場の原料、燃料の供給をもくろむ。
同社原料担当渡部課長から、止めた方が良いとアドバイス。
見学先の新潟市臨港コーポレーションからも、儲からないぞとの忠告に逆らってのスタ—卜だ。
リンコー工場長には、機械の調達、技術指導、現場実習と親身な指導を頂き、心から感謝しお師匠さんとして今も敬意を払っている。
時代が追いついてきて関連会社唯一の無借金会社となった。カイハツボード工場(当時は東部大建工業)解体受注にもつながった。
その後、ノーリン、宮津リサイクル、アクトインの競合参入で苦戦が続き兼務社長は交代となる。
企業経営は常に前向きな姿勢が必要との教訓を得る。幸い決意と実践の五十嵐社長を得て明るい未来が見えている。
※当時の日付のまま掲載しております。荒川通信No.25から抜粋
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