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【コラム】電力大型トランスの解体

【コラム】電力大型トランスの解体

前回に続き、以下碍子型遮断器をバックにした写真。
正面が田部功工事部長、右側、私の入社以前からの大幹部田部政義工場長(大正13 年生。当時は喜多方だけ)。
当時の主要な仕事は、鉄くずは広田三菱鋼材ヘトラックでの納入。以前は広く北地域から国鉄貨物車での代納集荷もしていたと聞く。
古紙は喜多方市内上川原橋詰の喜多方製紙(チリ紙メ—力—)へ雑誌の直納、郡山地区の同業者から4トン車で集荷、まだ未整備の49号線猪苗代上戸で安積疎水へ転落した事故もあった。
集荷のメイは、昭和電工喜多方のアルミ電解炉解体鉄、第三電解工場の大型炉更新では一炉百トンで数基の入札であった。
国鉄の更新レ—ルの引取りは東北本線,磐越東線。北陸地建は遠く福井九頭竜川まで、東北地建は山形県宮城県、地元の同業者の協力を得た。
新潟北辰商事先代社長から”旅の人”と皮肉な表現も記憶にある。
東北電力、東京電力の一番の花形が主要トランスの解体作業。
新年早々、酸素道具担いで国鉄で秋田発盛変電所へ赴いた話、親不知子不知、長野野尻湖など。
中学時代の夏休みは、楢葉町京電力木戸川第三発電所トランス解体。
ニトン車がサイドミラ—を倒してやっとのトンネルを抜けた先にある現場、トラッククレ—ンがない時代、電柱で三股を組んでチェ—ンブック作業。
成果品を積んでの帰路49号線では、いわきからの長い一本調子登坂でのオ—バ—ヒ—卜、2トン車しか入らない現場の悲哀。
民宿での夜の酒盛りが盛り上がって楽しい合宿の思い出だ。
※当時の日付のまま掲載しております。荒川通信No.21から抜粋
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