わが社に関連のある同業者、①直富商事(株)長野市、②豊和商事(株)三条市、③山本産業㈱JマテH(株)上越市、④セキヤ(株)新潟市白根
⑤(株)青南商事弘前市との比較をしてみました。
山本産業が鳶土工業取得、豊和商事は産業廃棄物処理業取得など隣接する業態への進出や青南商事の盛岡支店、仙台支店開設、シュレッダーの導入も仙台、秋田臨港、八戸と立て続けの設備投資には驚いた。しかも自社エンジニアリング会社によるシュレッダー設置工事だった。急激に東北の鉄スクラップ流通が整備されていった。
弊社はS58年磐梯事業部開設、産廃処理業に転じた日曹金属化学会津工場様が発生ドラム缶の処理に困っていてその処理から、10tトラックで町北へ運搬することで業務を開始した。
S62年末、勃興する喜多方ラーメンへの流入客が増え、喜多方市の入口にあるわが社の立地に違和感を感じて豊川町太田地区への本社移転計画を発表。
当時、父重四郎前社長は喜多方商工会議所副会頭、私は青年会議所福島ブロック副会長、翌年から喜多方青年会議所理事長を受ける予定。商業活動調製協議会が万能の時代で、全市議会議員の反対を受けて、その後数年にわたる苦難の時代が続いた。
S60年ブラックマンデー日経平均株価12,000円台、S64年大納会株価38,915円(この株価はR6年2月22日まで34年間回復できなかった)、その後9か月後に半値に下落、経済的な激動が続く。H3年バブル崩壊失われた30年が始まった。
※当時の日付のまま掲載しております。荒川通信No.40から抜粋