青年会議所福島ブロック副会長を経て会津喜多方JC理事長になろうとする頃の話。
地域のために何かをしたいと本社移転計画を考え、跡地利用計画に大型ホ—ムセンタ—誘致を織り込んだ。
移転先からの粉塵発生への反対と商調協時代での商店街から反対で5年間暗礁に乗り上げてしまった。
当時お付き合いしていた経営コンサルの先生から会津盆地の中心地真宮工業団地への移転を提案された。
ハブ&スポ—ク作戦、一極集中設備投資計画だ。
当時の北会津村へ出向き趣旨説明をしたが門前払いの対をされた。南隣の本郷町の工業団地ではどうかと訪問したが同じであった。
スクラップ業は招かれざる業種なのか。四面楚歌の中でダメもとと思い会津若松市商工課に出向いた。
一ノ堰工業団地が売れずにいたせいか歓迎されて坪10万4千円、2千坪購入を決めた。
本社と一ノ堰と二か所のほぼ同時での設備投資となった。
アマルクは、会津マテリアルセンタ—の頭文字をとった造語で、数年後に予定されていた自動車リサイクル法対応施設、南会津方面の収集拠点として計画した。
※当時の日付のまま掲載しております。荒川通信No.24から抜粋